2013年2月11日月曜日

2013年2月10日(日) 活動報告(若林区Rerots)

昨日の今日ですみません。ジュンヤです。
今日は若林区のRerootsへ。この季節は朝の10時が朝礼なので9時過ぎに出ても余裕です。
12月に引っ越しをして東部道路を過ぎて少し行ったあたりを右折する場所になったのですが案内があるのですぐにわかります。
9時40分に着いたらスタッフ以外人影が無い。ありゃ、9時からか!間違った?
と思ったら「バスはあとで来るけど個人参加の方はまだ誰も…」と。


9時近くになり常連、群馬の「藤岡災害ボランティアサークル」のバスが到着。
30名くらいの団体、そして個人参加は自分を含め6名という少人数。
何回かご一緒した岩手の方、若林区の方も居て心強いチームです。


今日は畑起こしかと思いきやビニルハウスの解体というやったことない作業でした。
解体なんてきっとビニールとかをどんどん外すだけだ、時間余るのでは?
と思っていたらこれまたなかなかのもので。
作業現場は前のボランティアハウスより東部道路にちょっといったあたり。
ハウス二つを解体するニーズです。


ビニルは全て金具で挟んでありそれを全て取り、屋根を外して外側のビニルを外して…
かなりの金具が使われてあるというのが第一印象です。
簡単だと思った作業でしたが、金具を外すために地面を掘り起こしたり手じゃ取れない金具はスコップで外したり…うまいやり方をいかに見つけるか、これがポイントでした。

常連さん達が多かったので誰も早く帰ろうとせず、むしろ終わらせたいという思いで休憩時間や終了時間など気にせずただひたすら作業をした感じでした。
結局一番手こずったのは入り口の骨組みのパイプを抜くところでした。
風で飛ばされないようにかなり深く、地面に1m近く埋まっていたのを抜くのが大変でした。


溝を掘ってうっすらと見えるパイプと突き刺さってるパイプとを繋ぐ金具を一つずつ外していきます。これもあとからもっと楽な方法を発見することになります。


上のハリの部分は軽トラの荷台で移動しながらインパクトドライバーを使いながら外していきます。なお、軽トラ荷台乗りは公道では無いので道路交通法は適用されません。(・・・なはず)


ここでは小松菜を作っていたようで、もう畑は閉鎖されているのにそれを知らずか、ところどころに生えていました。勧められて食べてみたらかなり甘くみずみずしい。新鮮な野菜は甘いのですね。


外した金具もきちんと回収し、まとめておいたり箱に詰めたりします。二つのハウスから段ボール四個分の金具が回収されました。


左のハウスはほぼ終了。人手がもう少しあればもっとできたかな、とあとで思いました。画面中央に見える森みたいなのは東部道路です。



少しだけ残して作業終了。(左に移る入口とパイプの撤収)終わらせられなくて残念でしたがご主人は一人でやったら相当かかってしまうので助かりました、言ってくださいました。

なお、この付近に市営住宅(190世帯くらい入る6階建ての建築)が作らるようで、二年後には東西線の地下鉄の駅ができたりと色々と慌ただしい感じになってきています。
「人が居ないのに作ってもどうなのか」とご主人は言っていましたが、出来れば活気が出てきっと人が来るようになる!と僕は思いました。

休憩のたびに温かい飲み物の差し入れやお菓子、僕にとっては嬉しいカロリーハーフのリポビタンDなどを頂きありがとうございました。

それにしても今日は暑いくらいでこの時期にヒートテック一枚、カッパ一枚で作業しても汗をかく感じでした。ただ、動かないと急激に冷えてきましたが…。

ところで新しいRerootsの場所は津波の被害を受けている場所であることあいまって寂しげな場所です。不運なことに近くに遮蔽物などないため強風でテントが吹き飛ばされたり、チャリ置き場もままならず、まだまだ整理が終わってなく大変そうでした。早く以前のように活気が戻ってほしいものです。

Reroots 活動ブログ
http://reroots.blog.shinobi.jp/Entry/1238/
みんなで引っこ抜いている画像が手こずっている様子です。

2013年2月10日日曜日

2013年2月9日(土) 活動報告(南三陸町)

こんにちは。ジュンヤ@帰省中です。
三連休を利用し、南三陸に行ってきました。
今回はどうしてもボランティアをやってみたい、と熱望する卒業生が居たので車に乗せてきました。
金曜の夜7時に横浜を出て「津山もくもく道の駅」に着いたのが3時前。仮眠をとり朝の移動です。
幸いなことに季候も暖かく、ポカポカした一日でした。

この日は熊谷から高校生がバスで来ていた他、30名くらいでしょうか。
さすがに冬なので少なくなってきた感じです。

今回の現場は上の山地区。長さんのご実家のちょうど反対側のセブンイレブン付近です。


さて、この地域は海から遠い所の瓦礫をボランティアがフレコンバック(トン袋)に詰めながら…の作業をずっとしてきていまいしたが、やっと海付近まで来た感じの仕上げ段階のようです。
前回の民家の基礎に被った細かな瓦礫や石などを取り除く作業をイメージしていましたが、とんでもない。
ちょっと掘ると包丁から食器、納屋に仕舞われていたとおぼしき絡まったロープやベッド、スキー板、家の支柱。あらゆるものが出てきます。
一つのものを取ろうとするとその上に何かがあってそれを取ろうとするとまたさらに何かが乗っかってる。という状況に苦戦します。

電話線か何かか、細いのが数十本束ねてあります
 
自分たちがやっていた場所の大物はベッドでした。半分くらいは出せたのですが、端っこが絡まりあって、なかなか出せません。
その端っこを掘ろうとしても今度は複雑に絡まり合ってどこまで埋まっているかわからない縄があり掘り出せず、さらに湿って水を吸った柱もありこれまたなかなか一筋縄ではいきません。
ベテランのボランティアの方も多く手を変え品を変えやりますが、なかなか…ヒトの力の限界を思わず感じてしまい、つい言ってはいけない「これは重機じゃないと…」という言葉がでかかります。

そうこうしているうちにいつの間にか卒業生たちはボラセンのリーダーに連れて行かれ山の斜面の瓦礫を拾う作業へ。どうやら高い所が好きなようで嬉々としています。


調子に乗って怪我だけはするなよ、と念を押す
周りから「あの高校生は向こう(熊谷西高校)と一緒の?」と聞かれ、
「いや、自分が連れてきました」と諸事情を話したところ、偉く感心したようでしきりに褒めていました。もちろん「自慢の二人です」と思わずドヤ顔になってしまいます。
(間違っても「いやぁ、中学校の時は…」とは言いませんが)
一生懸命働いてくれました
さて、昼は例の「蔵八ラーメン」で暖を取りますが、この寒いのにデザートにアイスを頼むあたり高校生です。

午後の作業は二時間程度。それまで何としても今やっている所は綺麗にしたい、と思いますが、やはりベッドに苦戦します。
掘っても掘っても出てくる生活感あふれる品々に、思わず今更ながら津波の恐ろしさを垣間見ます。結局ベッドは解体しながら少しずつ取り出す作戦に。

問題のベッドの下にも柱などがあります。
そしてこのあたりでその付近から鉄の板を発見します。
どうやっても取れずにハンマーで割る強引な方法を採用。
割ったはいいが、引っこ抜けないところ普段現場で鍛えている卒業生のひとりが踏ん張り、見事土の中から引っ張り出しました。
マンホール?下水道の蓋が出てきました。

マンホールを強引に抜きます。腰、大丈夫か?
午後3時には全て片付け撤収。冬は作業時間が少ないのですね。
その後、何もない場所にポツンと建つ防災総合庁舎に興味を示したので近くまで行くことに。
経緯を説明したら真剣に聞いて車から降りて線香をあげて深々と頭を垂れて拝んでいました。

このあと観光バスがやってきて急に人が多くなりました。お線香をあげています。

その後復興さんさん商店街で海苔を買い、またまたクソ寒いのにアイスを食べ帰ります。

負けてられるかと対抗してアイスを食べる。(ストーブにあたりながら)
帰りの車中は皆爆睡のためやたら静か。
二人はその日のうちに横浜へ帰るということで仙台駅まで送り届けました。

初めてボランティアに卒業生を引率しましたが、若い人たちが少しでも興味を示してくれるのは嬉しいことです。
夜にLINEで
『連れてってくれて本当にありがとう。少しは仙台の人のためになれたと思うし、おれ自身色々と勉強にもなったし、普段の生活色々見直さなきゃなーって思った!』(原文ママ)と無事、帰宅した連絡と保護者からご丁寧にお礼のお電話も頂きました。

復興には若い力も必要だし、どんどん忘れ去られていくことも危惧されます。
来るたびにそれほど変わらぬ景色を見てまだまだなんだなぁ、と改めて思い知る一日となりました。

タノンティアポーズで。