2013年2月10日日曜日

2013年2月9日(土) 活動報告(南三陸町)

こんにちは。ジュンヤ@帰省中です。
三連休を利用し、南三陸に行ってきました。
今回はどうしてもボランティアをやってみたい、と熱望する卒業生が居たので車に乗せてきました。
金曜の夜7時に横浜を出て「津山もくもく道の駅」に着いたのが3時前。仮眠をとり朝の移動です。
幸いなことに季候も暖かく、ポカポカした一日でした。

この日は熊谷から高校生がバスで来ていた他、30名くらいでしょうか。
さすがに冬なので少なくなってきた感じです。

今回の現場は上の山地区。長さんのご実家のちょうど反対側のセブンイレブン付近です。


さて、この地域は海から遠い所の瓦礫をボランティアがフレコンバック(トン袋)に詰めながら…の作業をずっとしてきていまいしたが、やっと海付近まで来た感じの仕上げ段階のようです。
前回の民家の基礎に被った細かな瓦礫や石などを取り除く作業をイメージしていましたが、とんでもない。
ちょっと掘ると包丁から食器、納屋に仕舞われていたとおぼしき絡まったロープやベッド、スキー板、家の支柱。あらゆるものが出てきます。
一つのものを取ろうとするとその上に何かがあってそれを取ろうとするとまたさらに何かが乗っかってる。という状況に苦戦します。

電話線か何かか、細いのが数十本束ねてあります
 
自分たちがやっていた場所の大物はベッドでした。半分くらいは出せたのですが、端っこが絡まりあって、なかなか出せません。
その端っこを掘ろうとしても今度は複雑に絡まり合ってどこまで埋まっているかわからない縄があり掘り出せず、さらに湿って水を吸った柱もありこれまたなかなか一筋縄ではいきません。
ベテランのボランティアの方も多く手を変え品を変えやりますが、なかなか…ヒトの力の限界を思わず感じてしまい、つい言ってはいけない「これは重機じゃないと…」という言葉がでかかります。

そうこうしているうちにいつの間にか卒業生たちはボラセンのリーダーに連れて行かれ山の斜面の瓦礫を拾う作業へ。どうやら高い所が好きなようで嬉々としています。


調子に乗って怪我だけはするなよ、と念を押す
周りから「あの高校生は向こう(熊谷西高校)と一緒の?」と聞かれ、
「いや、自分が連れてきました」と諸事情を話したところ、偉く感心したようでしきりに褒めていました。もちろん「自慢の二人です」と思わずドヤ顔になってしまいます。
(間違っても「いやぁ、中学校の時は…」とは言いませんが)
一生懸命働いてくれました
さて、昼は例の「蔵八ラーメン」で暖を取りますが、この寒いのにデザートにアイスを頼むあたり高校生です。

午後の作業は二時間程度。それまで何としても今やっている所は綺麗にしたい、と思いますが、やはりベッドに苦戦します。
掘っても掘っても出てくる生活感あふれる品々に、思わず今更ながら津波の恐ろしさを垣間見ます。結局ベッドは解体しながら少しずつ取り出す作戦に。

問題のベッドの下にも柱などがあります。
そしてこのあたりでその付近から鉄の板を発見します。
どうやっても取れずにハンマーで割る強引な方法を採用。
割ったはいいが、引っこ抜けないところ普段現場で鍛えている卒業生のひとりが踏ん張り、見事土の中から引っ張り出しました。
マンホール?下水道の蓋が出てきました。

マンホールを強引に抜きます。腰、大丈夫か?
午後3時には全て片付け撤収。冬は作業時間が少ないのですね。
その後、何もない場所にポツンと建つ防災総合庁舎に興味を示したので近くまで行くことに。
経緯を説明したら真剣に聞いて車から降りて線香をあげて深々と頭を垂れて拝んでいました。

このあと観光バスがやってきて急に人が多くなりました。お線香をあげています。

その後復興さんさん商店街で海苔を買い、またまたクソ寒いのにアイスを食べ帰ります。

負けてられるかと対抗してアイスを食べる。(ストーブにあたりながら)
帰りの車中は皆爆睡のためやたら静か。
二人はその日のうちに横浜へ帰るということで仙台駅まで送り届けました。

初めてボランティアに卒業生を引率しましたが、若い人たちが少しでも興味を示してくれるのは嬉しいことです。
夜にLINEで
『連れてってくれて本当にありがとう。少しは仙台の人のためになれたと思うし、おれ自身色々と勉強にもなったし、普段の生活色々見直さなきゃなーって思った!』(原文ママ)と無事、帰宅した連絡と保護者からご丁寧にお礼のお電話も頂きました。

復興には若い力も必要だし、どんどん忘れ去られていくことも危惧されます。
来るたびにそれほど変わらぬ景色を見てまだまだなんだなぁ、と改めて思い知る一日となりました。

タノンティアポーズで。

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